品川区の歴史|品川区を対象にした品川区専門のポスティング

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品川区の歴史

縄文時代〜古墳時代

品川区域に人々が暮らし始めたのは、今から6、7千年前の縄文時代早期にさかのぼります。武蔵野台地の東端にあたる品川区には、目黒川・立会川の流域に縄文時代前期から晩期の貝塚遺跡が発見されています。 なかでも大森貝塚は、1877(明治10)年にアメリカの動物学者E・S・モース博士によって発掘調査が行われ、考古学発祥の地として全国的に知られるところとなりました。日本最初の発掘調査報告書「大森介墟古物編」は、日本の考古学研究の指針となりました。区内にはこのほかに、弥生時代や古墳時代以降を含めると24箇所の遺跡が存在します。

奈良時代〜平安時代

奈良時代から平安時代にはいり、品川区付近には都(みやこ)と国府を結ぶ古代の東海道が通っていたと推定され、大井には中継点としての駅家(うまや)があったと考えられています。この時代から交通の要地となっていたことがうかがえます。

鎌倉時代〜室町時代

さらに、鎌倉幕府の御家人大井氏・品河氏によって開発が進められ、南北朝時代には伊勢をはじめ各地から商船が入港する品川湊がにぎわいました。室町時代に入ると武士や商人が寄進した寺院が軒を連ねるまちがつくられ、人と物資が行き交う武蔵国の表玄関としての地位を獲得しました。

江戸時代

 江戸時代の品川は、五街道で最も交通量が多い東海道の最初の宿場として栄えていきました。品川宿は、江戸四宿のうち唯一海に面した宿場であり、名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に江戸市中から多くの人々が訪れたのです。幕末になると、品川台場の築造をはじめ英国公使館焼き討ち事件など歴史の舞台ともなりました。

明治時代〜近代

明治になり品川は、いち早く鉄道が敷設され、官営品川硝子製造所が設立されるなど近代工業の先がけとなり、京浜工業地帯の発祥地として発展していきました。関東大震災以降は一層開発が進み、田畑が宅地や工場へとかわり、私鉄が次々と開業し、区域全体が都市化していきました。 第二次世界大戦の空襲で区域の多くが焼け野原となりながらも、はやばやと戦後の復興を遂げ、近年では、工場跡地などの再開発により新しい街がつくられ、産業や文化の伝統を守るとともに、情報発信都市として世界に大きく羽ばたこうとしています。

品川区のタウン情報-駅周辺情報 ※駅名をお選び下さい。
-沿線- -駅名-
JR山手線 大崎/五反田/目黒
JR京浜東北線 大井町
JR埼京線 大崎
JR横須賀線 西大井
JR湘南新宿ライン 大崎/西大井
東急目黒線 目黒/不動前/武蔵小山/西小山
東急大井町線 大井町/下神明/戸越公園/中延/荏原町/旗の台
東急池上線 五反田/大崎広小路/戸越銀座/荏原中延/旗の台
りんかい線 天王州アイル/品川シーサイド/大井町/大崎
東京モノレール羽田線 天王州アイル/大井競馬場前
京急本線線 北品川/新馬場/青物横丁/鮫州/立会川/大森海岸
東京メトロ南北線 目黒
都営地下鉄三田線 目黒
都営地下鉄浅草線 五反田/戸越/中延